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女が光の粒を残して消え、無人のソファを眺めていた男は、ぽつりと呟く。
「また会おうぜ、
ひじり」
やわらかな笑みを浮かべた男もまた、その空間から消え失せた。
□ ベイカー街の亡霊 21 □
会場は、静寂に包まれていた。
音声は既に聞こえなくなっており、ステージに残されたコクーンは3つ。
いったい何が起こったのか。まさか、全員がゲームオーバーになってしまったのか。
誰もが、きりきりと心の糸を張り詰めさせながらステージのコクーンを縋るように見つめる。お願い、お願い、お願い。私達の子を。大切なあの子を。
(新一…
ひじり君)
優作は声に出さずに名前を呼んでコクーンを見つめた。愛する息子と、大切な友人の忘れ形見。
子供とは呼べないあの子は既にステージの下へと下がってしまったが、まだ、希望は残っている。
どうか、どうか。いるかも分からない神様へ誰もが祈っていた、そのとき。
響く、機械音。
「……!」
はっとして会場の目がステージへ集中する。
コクーンが下がるのではない。ステージの下へと下がっていたコクーンが、せり上がってきたのだ。会場のどよめきをよそに、コクーンは次々とせり上がる。さらに3つ4つ。
既にゲームオーバーになっていた全ての子供達のコクーンが戻ると、驚愕を交えた歓声も呼応するように次々と上がっていく。
歓喜に沸き上がる会場に照明が戻り、コクーンのふたが開く。
その中で
ひじりもまた意識を取り戻し、そこがゲームの中でも、あの赤いジャケットの男がいた場所でもない、正真正銘の現実世界であると理解するとすぐに隣のコクーンへ視線を滑らせた。
「ん…あ、
ひじりさん!」
「快斗…」
快斗も目を覚まし、
ひじりがヘッドギアを外して降りるより早くに快斗が自分のそれを外してコクーンを降り、駆け寄って来る。大丈夫ですか、怪我は、だなんて、一種の夢の中だったのだからあるはずがないのに、快斗はそう声をかけてくれた。
次々と目を覚ました子供達も歓声を上げ、それぞれの子供のもとへと親達が駆け寄っていく。安堵の言葉をつき、抱きしめ、よかったよかったと涙を滲ませて。
ひじりと快斗はそれを穏やかな顔で見て、お互いに顔を見合わせた。
「快斗のあんなわがまま、初めてだね」
「あー…やっぱり、分かりました?」
「当然」
快斗に手を引かれてコクーンを降り、
ひじりはコナンや哀を始めとした子供達が全員無事であるのを一瞥して確認する。
「でも、快斗のわがままのお陰で、私は迷わず選べたよ」
それは、
ひじりが快斗のわがまま通りにしてくれたということ。たとえそれがゲームの世界であったとしても、
ひじりのために死んだ快斗のために、
ひじりもまた、その後を追った。
快斗は笑みを深め、
ひじりも小さな笑みを返し、指を絡めて軽く抱き締め合う。2人の間に言葉は不要だった。しかしすぐに離れると、手は繋いだまま2人はステージを降りる。
「…ああ、そういえばノアズ・アークに説教できなかったな」
「あのボウズ達にするのも、今は野暮ですかね」
ひじりは、一緒に冒険をした少年達が保護者と抱き合い喜び合うのを見てそうだねと頷いた。
おそらくノアズ・アーク─── ヒロキに体を借りられていた秀樹は何が起こったのか不思議そうだったが、まぁそれは些細なことだ。
「
ひじり姉ちゃん、快斗兄ちゃん!」
「
ひじりお姉ちゃーん!」
ふと呼ばれて声のした方を見れば、蘭とコナンがそれぞれ手を振っていて、2人はそちらへと足を進めた。
「ったくもう!2人共無茶しすぎだよ!
ひじり姉ちゃんなんか、あいつと一緒に飛び降りちゃうんだもん!」
「わたし、すっごく怖かったんだからぁ!」
「心配かけたかな、ごめん。でもあれが一番良い方法だと思ったから」
ひじりが叱るコナンと涙目の蘭それぞれの頭を撫でると、蘭は「でも~~~!」とさらに涙の膜を厚くして抱きついてきて、コナンはよく言うぜと小さく呟き半眼で睨んできた。
「ら~~~ん!!!」
「お父さん!」
蘭を呼びながら小五郎が駆け寄り、蘭が
ひじりから離れて小五郎のもとへと向かう。小五郎は蘭の肩を掴み、よかったよかったと大泣きしながら繰り返した。
そして、こちらに向かって来るもう1人。優作だ。
ひじりと快斗は軽く顔を見合わせ、コナンを置いてその場から離れた。親子水入らずを邪魔することはないだろう。
「そういえばあの赤いジャケットの男、誰だったんですかね」
「ああ…私が飛び降りた後、別の空間で少しだけ話したよ」
「え!?」
「ただものじゃなかった、あの人」
黒曜の瞳に微かな鋭さを宿し、快斗にあの男の名を告げる。
ひじりの関係者の関係者。その関係者とは間違いなく、
ひじりの父親─── 優哉。FBIの証人保護プログラムを受け、まだ幼かった弟と共に名前や戸籍全てを全くの別人に変えて外国へ渡った父親。
父親とあの世界的犯罪者が、繋がっている。それがいったいどんな繋がりなのかは、想像に難くない。
「ルパン三世…世界各地に出没する、大泥棒」
「お父さんの客繋がり、ってところかな」
あるいは、それ以上の。
ひじりをフェアリーと呼んだあの男。
いずれまた会うことになると、根拠のない確信を抱いた。
■ ■ ■
現実世界に戻り、ヘルメット型のヘッドギアを外したルパンは、キーボードを使って操作をするとゆっくり口を開いた。
「今は眠ってな、ノアズ・アーク─── いや、ヒロキ君。確かに人工知能が生まれるのは早かった…けど、何も二度も自ら命を絶たなくなっていいだろうが」
お前はまだ、幼い子供なんだ。
天才と謳われ、大人に利用され、死へと追い詰められたとしても。
僅か10歳の、未来ある子供のはずだ。
「世界がお前に追いつくまではよ、安らかに眠ってな」
優しくそう言うルパンに応えるように、パソコン画面がまばゆい光を放ち、メモ帳を起動させると自動的に文字を打った。それは礼ではなく、眠りにつく前の挨拶でもない、ルパンが目を瞠ることになる文章だ。
「…いや、確かにできねぇことじゃねぇがよ」
ルパンの言葉を聞き、無音で文字が打たれていく。その決して長くはない文章を読んで、ほんの僅かに苦い顔をしたルパンは、しかしやれやれとため息をついて肩を竦めた。
「いいのかい。こっち側へ来る必要なんざ、ねぇってのに」
また文字が打ち込まれる。笑うように、こっちもあっちもないのだと。
ルパンはそれ以上引き留まらせる言葉を吐かず、代わりにゆるりと苦笑を浮かべて呟いた。
「まったく、とんだ悪ガキめ。けどお前、それならあの子達に説教される覚悟を決めとくんだな」
それに、文字がやはり笑うかのように踊って応える。
『もちろんさ』
ベイカー街の亡霊編
第二部 end.
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