拍手御礼夢





「─── で、ここをこうする」


 武骨な指がゆっくりと動き、その両手を繋ぐように絡む細い紐が形を変えていく。その様子を食い入るように見つめるクオンの視線の先で、紐がひとつの形を成すと同時に手の動きが止まった。ぱっとクオンの鈍色の瞳が笑みに煌めく。


「これは……山、でしょうか」

「正解」

「へぇ…ほぉ……本当に器用なものですねぇ」


 ゾロの両手にかけられた紐が作り出したそれをまじまじと見つめ、感嘆のため息をついたクオンの雪色の頭頂部を見下ろしたゾロは、次をせがまれるまま指を動かしながら、何でこうなったんだっけか、とゆっくりと記憶を辿った。





† あやとり †





 それはとりとめもなく交わされていた雑談の中にふと出てきた単語が始まりだった。


「あやとり?」


 聞き慣れない単語に、クオンがきょとりと首を傾げる。その声は被り物をしているせいで低くくぐもり抑揚を削いではいたが、傾いた頭に大量の疑問符が浮かんでいるのが判る。知らねぇのか、とその遊びの名を口にしたゾロが問えば、今度は逆側に首が傾げられてゆるく振られた。


「大抵のガキはできたもんだがな」


 あやとりは紐を使った遊びだ。ひとり遊びもできるそれはメジャーなもので、幼い頃から剣一本にのめりこんでいたゾロですら経験はあった。とはいっても興味があったわけではなく、そもそも剣を極めるのにそんなもの必要ないとすら思っていたのだが、一度も勝ったことがない年上の少女剣士は紐ひとつで器用に様々な形を作ることができて、指先を鍛えるのは剣士として悪いことじゃない、ゾロは不器用そうだからこんなのできないでしょうと勝ち誇ったように笑われて負けん気に火が点いた結果だった。


「あやとり、というのは?陣取りゲームの一種ですか?」

「いや、細くてやわらかい紐を輪っかにして、指だけでものの形を作る遊びだ」

「……?輪っかの紐で形を作る?」

「あー……」


 あやとりに興味を持ったらしいクオンに説明しようにも端的な言葉では当然通じず、だが詳細を教えようにもどう説明したらいいものか。ガシガシと頭を掻いたゾロは、まぁ減るもんでもねぇしと自分の手をもごもごと動かしては首を傾げているクオンを見下ろした。


クオン、なんか紐持って来い。毛糸がありゃそれでいい」

「?」

「実際にやってみせてやるっつってんだ」

「!」


 被り物をしているというのに、その下ではぱっと笑顔が広がったのが分かるほど弾んだ空気を残し、瞬時に姿を消したクオンは数秒置いてすぐに元の位置に戻ってきた。白手袋に覆われた手には赤い毛糸玉が握られている。悪魔の実の能力を使ってまで急いで持ってきたクオンに、そこまでして見てぇのか、と少しだけ呆れたゾロは口の端を苦笑にゆるめて差し出された毛糸玉を受け取った。
 昔の記憶を掘り出し、必要な分だけ糸を伸ばして刀を使って斬り、慣れた手つきで両端を結んで輪を作る。ただそれだけを真剣に眺めているのが微動だにしない姿勢から判って、本当はひとつふたつ簡単なものを見せたら終わりにするつもりだったのだが、暫くは付き合ってやるかと内心を改めた。


「じゃあまずは……そうだな、“ゴム”だ」


 ぱっと脳裏に浮かんだ船長を思い出しながら器用に指を動かしていく。あやとりは随分と久しぶりだが体は覚えていたようで、つかえることなくすいすいと紐を操ることができた。だが慣れていないクオンにはうまく処理できないようで、最初の簡単な動きこそ追えたようだが、徐々に両手にかかる紐の数が増えていくごとにまたもや首が大きく傾いていた。


「え?今どんな動きをしたんです?なんでそこを取るとそんなふうに……?普通絡まるものでは?」


 こぼれる疑問の声から、むむむと被り物の下で不可解そうな顔をしているのが分かる。あとでまたゆっくり作ってやるかと思いながらとりあえず“ゴム”を完成させれば、両手に絡む紐を繋ぐ2本の紐にクオンの動きが止まった。ゾロが指を動かすのをやめたので完成だとは分かっているのだろうが、これのどこが?という心の声が聞こえてくるようだ。もしかしたらゾロがルフィの顔を思い浮かべたように、紐でルフィの顔ができるとでも思っていたのかもしれない。そんなわけがないだろうに。
 じっとゾロの手元を見つめるクオンによく見えるように僅かに持ち上げ、ゆっくりと指をたたむようにして両手の距離を開けていく。するとクオンの肩が跳ねた。それを認めて今度は指を開きながら両手を近づける。ぐっと燕尾服に身を包んだクオンの体が前のめりになった。両手を閉じて開いて、距離を開けて詰めて、まるでゴムのように紐が伸び縮みしているように見えるそれに、そろそろと白手袋に覆われた指が伸びて赤い糸に触れた。ぐっとつままれた紐はただの毛糸なので当然伸び縮みはせず、ピンと張られて元の位置に戻る。


「……!」


 奇妙に感動しているらしいクオンに、たえきれずふはっと笑声がもれる。こんなもので、とは思うが、純粋に驚いているさまは見ていて面白く気分が良い。上向いた機嫌のままゾロが一度紐を解き、「今のゆっくり作ってやるからよく見とけよ」と言って再び紐を手に巻いた。すると、向かいに座っていたクオンが一度立ち上がり位置を変えて隣に座る。反対側からではよく分からないのでそれも道理か。常になく近い距離にいるクオンがゾロの手元を覗き込めば、ぼすりと被り物がゾロの腕に当たった。あ、とクオンが声を上げる。


「すみません剣士殿」

「気にすんな。けどお前、それ外した方がよく見えるんじゃねぇのか」


 被り物は視界を然程遮るものではないと分かっているが、よくよく近くで観察するには自分の顔以上に大きな被り物はない方がいいのは確かだ。しかし食事時以外で基本的に素顔を晒すことはないクオンの判断に任せてそれ以上は言わずに紐を手繰れば、少しの沈黙を置いてクオンはおもむろに被り物を外した。あらわになった美しい顔が更に近くに寄せられ、鈍色の瞳は真剣にゾロの手元を見つめている。下を向いているため伏せているように見える瞼を縁取る髪と同色の睫毛を見て、睫毛長ぇな、と今更のように思った。すぐにクオンの顔から視線を逸らして指をゆっくりと動かす。


「待ってください、そこ…ああ、成程そういうふうに動かしていたのですね」


 スローモーションのようにゆっくりと指を動かすよう頼まれて言われた通りにし、ふむふむと真剣な顔で観察され興味津々に頷くクオンは当然ひとつだけでは満足せず、それからゾロは乞われるまま次々と技を披露した。一度目はいつもの速さで組み、二度目をゆっくりと。時折紐の組まれ方が気になったクオンの白手袋に覆われた指がゾロの手に絡む紐を辿るように触れてくすぐったい。

 そしていつの間にかゾロが紐で形を作ってはクオンが当てるようになり、冒頭へと至る。
 好奇心に目を輝かせるクオンの素直な反応は飽きないが、さすがに延々ひとり遊びを続けるのは疲れてきた。技も覚えている限りひと通り見せたことだし、次のステップにいってもいいだろう。


「よし、じゃあお前もやってみろ」

「え?」

「別に教えたのをやれってわけじゃねぇ。あやとりは2人でも遊べる」


 言いながら一度見せた基本の形である“吊り橋”を再度作ってクオンに差し出す。じいとゾロの両手と紐で作られたそれを見下ろしたクオンに「菱形の両端を両手の指で持って、外側からここの下に通せ」と小指で示しながら言えばクオンは無言で言われた通りに指を動かし、「そのまま開け」と言い置いてゾロが紐から指を抜けばクオンの手には“田んぼ”ができた。クオンの目がきらりと輝く。
 ゾロがさくさくと手を動かして“川”を作る。シンプルなそれにクオンの手が止まったが、静かな瞳で見下ろすクオンの頭には既にあやとりでできる形の理屈があるはずだ。ゾロがそう思った通り、すぐにクオンの指が動いて見事“船”を作り出した。へぇ、と思わず声を上げればクオンが得意げな顔をする。前々から思ってはいたが、こういうときこいつガキみてぇになるよな、とは言わずにおいた。

 それから暫く2人は無言であやとりを続け、クオンは初見の形をクリアしてドヤ顔をしたり失敗して悔しげな顔をしたり、自分が紐に手をかけた結果予想外に難しい形になってもしかして失敗かと焦るも、ゾロが淡々とクリアすれば尊敬の眼差しで見たり、くるくる変わるクオンの顔は悪くないがあやとり自体にはさすがに飽きる。ゾロは紐をクオンに渡して好きにさせた。
 それからひとり黙々と復習するように指を動かしていたクオンが、ふいにぽつりと「あやとり、奥が深い……」としみじみ呟く。そんなに感慨深く呟けるような遊びだったか、と思わず首を傾げたゾロだった。

 クオンは楽しそうにすいすいと淀みなく指を動かしてゾロが教えた形をさらっている。いつも両手を覆う手袋は、これがあるとやりにくいと2人であやとりを始めたばかりのときに外され、素手を晒したクオンの白くなめらかな手に赤い紐が絡みつくさまは、何となくよからぬものを見ているような気がした。


「楽しそうだな。そんなに面白いか?」

「ええ。元は1本の糸が組み方次第で様々な形に変わるのは、とても興味深いものです」


 あやとりの基本の形を作ったかと思えば更に指を動かし、片手の指にそれぞれ紐を通して一気に引き抜いて、見てください指ぬけ、と教えてもいない手品を披露するクオンは大変に器用な執事である。そりゃ指ぬきだ、と訂正しようかと思ったが、編み出した手品が既存のものと知ってクオンの顔が少しくもると思うと瞬時に呑み込んだ。代わりに上手いもんだなと小さな称賛を落とす。たぶんウソップあたりに見せたら訂正されるだろうが、そのときにクオンを沈ませてビビに睨まれるのは自分ではないのでよしとした。


「剣士殿、手を貸してください」

「あ?」


 思考に耽っている間にクオンが返事も聞かずにゾロの手首を掴んで引き寄せる。されるがまま好きなようにさせて様子を見ていれば、手首に一周紐が巻かれてクオンの両手の親指と人差し指に紐がかけられた。先程の指ぬけ、もとい指ぬきを応用した手品だろう。これもゾロは知っていた。
 クオンの手が僅かばかり迷うように動く。そのたびに紐が擦れてくすぐったいが、何も言わずに真剣な顔で紐を操るクオンの顔を見て準備が整うのを待った。

 小さく息をついたクオンがゾロの顔を見上げる。いきますよ、と目で言われて頷けば、クオンが作った“吊り橋”もどきに手が通され、紐から指が抜かれてクオンの両手が左右に開き─── ビシ、と張った紐はゾロの手首に巻かれたまま解かれず食い込んだ。


「あ」

「失敗だな」


 くっと唇を吊り上げてゾロが笑い、クオンが悔しげに柳眉を寄せる。不思議そうに紐を見つめるクオンの失敗の原因は最初に右手で左の紐をすくわず、逆の手順でやったからだ。教えてやってもいいがそれは何だかつまらない。どうせクオンならすぐに原因を特定して次は成功させるだろう。そして、上手くできるようになったらまたあの得意げなドヤ顔で披露するのだ。
 と、そこまで考えて、こいつは誰を練習台にするつもりなのかとふと思う。ゾロの手首から紐を取ったクオンが宙でシミュレーションしながら組んでいる。真剣な光を宿す鈍色の瞳や秀麗な面差しは少し手を上げれば触れられる場所にあり、長い睫毛の一本一本ははっきりと判るほどで、ほのかに香るクオン自身の匂いが鼻孔をくすぐるこの近さを許されるのは、自分以外の誰だ。ビビならいい。むしろ一番可能性が高いのは彼女だ。だがそれ以外なら。


「よし、もう一度ですよ剣士殿うわ顔怖ッ

「いつもと同じだろ」

「いや5割増しくらい凶悪さが滲んでますが」


 どうしました敵襲ですか、と辺りに視線を走らせるクオンだが、当然周りには敵どころか人影ひとつない。何でもねぇよ、と返した言葉は自分でも分かるくらいに低かった。先程まで上向いていた機嫌が直下したことを自覚して苛立ち紛れに頭を掻く。クオンが誰とあやとりをしようが関係ないだろうに、なぜこうも腹の奥がざわめくのか。
 常人なら震え上がりそうなほど眉間に深いしわを寄せて宙を睨むゾロはまとう空気も重く剣呑だが、それに怖気づくようなやわな精神をクオンはしていない。平然とした様子で手遊びに紐を絡ませながら下から覗き込むようにゾロを見上げて「ふむ?」と首を傾ける。だが瞬きひとつ置いたクオンの目が見透かすように細められた。


「……もし、あなたが抱えるそれがわがままなら、いいでしょう、叶えて差し上げますよ」


 自分が何かしたとは微塵も思っていない、傲慢さすらにじむ鷹揚な台詞を吐いて「楽しい遊びを教えてもらったお礼に」と笑うクオンは確かにゾロの機嫌を損ねるようなことは何もしていないし、これからするかもしれないがそれはゾロにはまったく関係のないこと。だというのに、寛容にもこちらのわがままを聞いてくれるらしい。こういうところがビビを付け上がらせるんだ、と内心呻くが、それで付け上がるのはゾロも同じだった。まったくもってひとのことを言えない。

 ゾロはおもむろに手を伸ばしてクオンの指に絡む紐を掴んだ。そのまま引き寄せれば紐はほどけずクオンの指に食い込む。2人を繋ぐように自分の指にも絡む糸を握り締めながら、睨むように鈍色の瞳を見下ろした。


「お前、おれ以外とこれするなよ」

「……姫様とも?」

「…………」


 言われると思ってはいたが、執事の大事な主人を引き合いに出されてはゾロは黙るしかない。クオンがビビをいっとう大事にしていることは分かっている。彼女が何かを願えばそれを叶えてやりたいと思っていることも。それを止める権利をゾロは持たないし、止めたいとも思わないのだ。だから黙るしかないゾロを静かに見上げ、ふっと唇を笑みの形にゆるめたクオンの眦が甘く下がる。


「では、剣士殿」


 するりとクオンの指に絡んだ赤い糸が小指に引っ掛かったものだけを残してほどかれ、立てられた人差し指がクオンの口元に寄せられた。口紅をしていないのに淡く色付いた唇が耳当たりの良い涼やかで高めの音を紡ぐ。


「この遊びは、他の誰にも秘密ですよ」

「……ああ」


 2人だけの秘密を了承して頷き、紐を掴む手から力を抜く。音もなく長い紐が床に落ちてとぐろを巻いた。輪になった紐の一端が己の小指に絡んだまま止まり、ゆるんだそれが抜け落ちそうになったのを、ゾロは無意識に手を握り込むことで留めた。





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