幼馴染は見た





「でさ青子、そのときひじりさんがよ」


 頬をほのかに赤く染め、楽しそうに目を細めて笑う幼馴染に、本当に幸せそうな顔してる、と青子もまたやわらかな笑みをこぼした。





□ 幼馴染は見た □





 快斗に恋人ができた、と聞いたとき、心底驚いたと同時、これ以上ないくらいすんなりと納得した。
 あんなに顔を赤くして、大切そうに愛おしそうに彼女の名前を紡ぐ幼馴染。
 頭が良く顔も文句なしに格好良いしマジックはプロ並みにうまい。が、いつもバカやって、女好きで、セクハラばっかりで、それでもそれらの欠点さえ憎みきれないようなクラスの中心人物である“愛すべきバカ”は、ただ1人の女性に恋してから変わった。
 生活態度は良くなり、授業も比較的真面目に受ける。女好きは変わらずかもしれないがセクハラは一切しなくなった。青子との距離感も少しだけ変わって以前ほど絡んでくることはなくなり、それを少し寂しいと思うものの、快斗があまりにもだらしのない緩みきった顔で彼女の話をするから、幼馴染として、快斗が幸せそうならいいかと思い直した。


ひじりさん…だっけ)


 以前、時計台前で一度会った彼女─── ひじりは無表情ながらその奥に潜めた感情は多彩だったように思う。表情は無く言葉も淡々としていたが、黒曜の瞳の奥に宿る光はとてもやわらかかった。
 家で彼女の話題に出せば父は「ほう、快斗君に」と軽く驚いて、それから少しして、どうやら父も会ったらしい。そのとき父は仕事だったが快斗とひじりはデート中で、とても仲睦まじい様子だったのだと。それには全面同意だ。

 彼らは互いに寄り添い合うように一緒にいる。まるで2人でいるのが当然であるかのように。
 一蓮托生、比翼連理。お似合いの2人にそんな四字熟語が浮かんだのは記憶に新しい。


「いいな~…、青子も恋してみたい」


 人も殆どいない夕暮れに染まる校内を歩きながら、青子はぽつりと呟く。
 図書委員である仲の良い友人を手伝っていたらすっかりこの時間だ。
 まだ仕事は残っていたようだが、友人は長く居残ってもらうのは悪いと、手伝ったことに対する礼と「今度奢らせて」という言葉で背を押して青子に帰宅を促した。
 下校するために教室へ向かう道すがら、ふと快斗とひじりについて考えが巡り、先程の言葉がつい漏れ出てしまった。


「また会ってみたいなぁ」


 あの人とは何となくだけど仲良くなれそう。そう考えて小さく笑みをこぼし、青子は快斗に頼んで会わせてもらおうと決める。
 嫌だと言われても、時々黒羽邸を訪ねるひじりを捉まえてしまえばいいだけだ。快斗には睨まれそうだが。


(本当、快斗はひじりさんのことでよく表情変わるわよね)


 ふとそう思い至り、ひじりについて語るときの快斗の表情を思い出す。
 締まりのないふわふわとした顔はほのかに赤く、細められた目は正面を向きながらその実記憶の中のひじりを見ているに違いない。会いたいなと唐突に呟かれる言葉は切なさをはらんでいて、ひじりの話をする声は弾んでいて明るい。
 ころころくるくる変わる表情。ひじりという恋人を想って変わるそれを見て、青子はそんな顔もするのかと初めて知った。
 そういえば、学校にいる間はチェーンに通して首にかけているが休日や放課後は常に指にはめている、左の薬指で煌めく指輪についても、以前「どうしたのそれ」と訊けばこの上なくとろけきった甘い顔をされたことを思い出して胸焼けしかける。
 ブラックコーヒー飲みたい、と飲めるわけもないのにそう思いながら戻って来た教室のドアに手をかけた、そのときだった。


「─── 好きです、黒羽快斗君」


 唐突に少しくぐもった少女の告白が聞こえて、思わず青子はドアに手をかけた体勢のままびしりと固まった。
 思わず教室を確認する。2-B、間違いなく自分のクラスだ。そして聞こえてきた少女が呼ぶ名は、確かに幼馴染のもの。

 快斗が告白されている。
 この場を離れるべきなのだろうが、自分の鞄が教室の中であるし、かと言って空気を読まず入るべきでもないし。それに何となくここから動けない。
 結果、青子は思わず盗み聞きするようにその場に立ち尽くすしかなかった。


「最近、黒羽君のことすごく気になってて…カッコ良いし、優しいし…あたしと、付き合ってください」


 緊張した様子で更に告白の言葉を続けた見知らぬ女生徒の声を聞きながら、青子は快斗が断ると信じて疑わない。
 そして、そういえば最近やけに快斗モテるよねぇと内心で呟く。まぁ、顔良し頭良し(ひじりのお陰で)性格良し、更にマジックがうまく明るく親しみやすい快斗がモテるのもまた道理だ。
 今までは素行不良とセクハラばかりであったことと、女生徒では幼馴染の青子とくらいしか絡んでいなかったから告白されるということも少なかったが、セクハラはやめたし授業態度は改めているし、ひじりがいるから青子とも距離を置き始めたので、特に今までの快斗のことを知らない一年生にやたらモテるようになっている。


(あれ、でも確か、快斗には彼女さんがいるっていうのも有名じゃ…)


 たぶん告白しているのは同級生だろうなと適当にあたりをつけながら、今では黒羽快斗の名を聞くと同時に入って来る、「彼女あり」の情報を思い出して首を傾げる。しかしそれきり女生徒は言葉を発さず快斗の答えを待ち、知っているか否かの判断はつかなかった。
 時間にしてはほんの数秒だったように思う。女生徒の告白に、快斗はまず「告白してくれてサンキュ」と礼を口にした。


「でもオレ、彼女いるからさ!美人なお姉さん!!」


 ばっさりと、明るい声から察するに輝かんばかりの特大笑顔で自慢げに断った快斗の顔がすんなり思い浮かんだ。
 だからごめんなと返す快斗の声が少しだけ真剣味を帯びる。オレなんかを好きになってくれてありがとう、だなんて、そんなことひじりさんが聞いたら怒るかもしれないよと内心でため息をついた。
 青子は教室から出て来るであろう女生徒に見つからないよう、こっそりと移動して隣の教室へと入った。それでも教室の壁は厚くないため、場所を移動しても少しだけ遠くなった声が聞こえてくる。


「…知ってる。黒羽君に年上の彼女がいるって、有名な話だもの」


 何だ、やっぱり知ってたんじゃん。それでも告白するだなんてすごいなぁと考えながら、思わず聞き耳を立てる。
 しかし今、少しだけ何かが引っ掛かった。そう、先程まで緊張に震わせていた声が、低く憎々しげなものに変わったのだ。
 青子はそれに嫌な予感を覚えた。何だろう、この人何か、まずいことを言いそうな気がする。


「っ…何で…何で!?何よ、そんな年増より若くて話の合うあたしの方がいいでしょ!?」


 唐突に女生徒の耳をつんざいた怒声に、予感が的中したことを喜ぶはずもなく。青子はカッとして教室を飛び出た。
 何を言っているの。何も知らないくせに。快斗がどんな顔で、彼女のことを語るのか。
 あんなに幸せそうな顔をする快斗を、青子は知らなかった。ひじりだからこそさせることのできる顔。
 快斗が愛しむ、そして同じくらい快斗を愛しんでくれている彼女のことを、「年増」だなんて侮辱して。


(あの人を侮辱しないで!)


 ひじりを侮辱し否定することは、同時に快斗をも侮辱し否定することだ。許せるはずがない。
 それに、ひじりは言われるほど年増ではない。たった3つしか変わらない。快斗の方はひじりに対して敬語を使っているが、当人達がそれを気にしている様子はなかった。
 泣きたくなるような怒りの衝動に駆られたまま、青子は自教室のドアへと再び手をかけ、勢いよく開こうとして───


「あの人をバカにすんな」


 静かな温度の無い声に、息を呑んで動きを止めた。
 手をかけたままのドアを凝視する。今のひどく冷たい声音は、誰のものだ。
 決まっている。快斗しかいない。だが背筋を凍らせるような底冷えする声を、青子は聞いたことがない。

 快斗は怒るとき、怒鳴りながら怒る。感情表現を豊かに、はっきりと。そういう快斗しか青子は知らない。だから今の声の主が本当に快斗であるのか、青子には一瞬判らなかった。
 青子の心の中を占めていた怒りを掻き消すほどのそれに、思わずドアから手を離して一歩後退る。
 怖い、と。そう思ってしまった。


(…快斗…)


 そうして、青子はもう一度思い知る。
 青子の知らない快斗。ひじりが変えた快斗は、こうしてまたひとつ青子の知らない顔を覗かせる。

 教室に入らなくてよかった。入っていれば快斗の顔が見えて、きっと今までに見たことがないほどの冷たい表情をしているのを目にしてしまっただろうから。
 そんなもの、見られるはずがない。見たくない。見なくてよかった。
 快斗の逆鱗に触れた女生徒が少し気の毒だが、同情はしない。


「じゃ、オレは帰るから」


 冷え切った声に少しだけ温度をのせて、何も言えずに固まっているだろう女生徒を置いて快斗はつれなく踵を返したようだ。
 それにはっと我に返る。慌てて隣の教室に駆け込むと同時にがらりと自教室のドアが開く音がして、どうか見つかりませんようにと閉めることのできなかったドアの脇にひっそりと身を潜める。


「青子、オメーそこで何してんだ?」


 だが、快斗はあっさりと青子を見つけ出して呆れたように上から見下ろしていて、青子は恐る恐る快斗を見上げ、そこにあるのが常の快斗であるのを確かめると大きく安堵の息をついた。思わずスカートを握り締めていた手をほどいて立ち上がる。


「な、何でもない!ちょっと落とし物しただけだから!」

「ふーん?…ほら、これオメーの鞄だろ?」

「えっ」

「まぁ盗み聞きは感心しねーけど、オメーも怒ってくれてたみてーだから何も言わねぇでおいてやるよ」


 にやりと意地悪く笑いながら鞄を差し出してくる快斗に、大きくため息をつく。何もかもバレていたらしい。
 それにしたって聡すぎやしないかと鞄を受け取ってから不満気な顔で半眼に見やれば、快斗は「オメーは分かりやすいからな」と両腕を後頭部で組んでケケケと笑う。


「分かりやすいって何よ。快斗の方こそずーっと分かりやすいじゃない、ひじりさんのことに関して」

「だって隠してねーし?」


 何とか言い返しても快斗は笑みを深めるだけで。
 本当に好きなのねと半ば呆れながら呟くと「おう」と即座に返事があった。
 並んで廊下を歩き、昇降口へ向かいながら青子が快斗を呼ぶ。


「快斗」

「ん?」

ひじりさん、大切にするのよ?」


 快斗を変えた女性。快斗に青子の知らない顔をさせる彼女。
 怖い顔は見たくないけれど、幸せそうな顔くらいはいくらでも見てあげるから、決してなくさないでと思いをこめて真剣に見やれば、快斗は一度目を瞬かせ、じわりと不敵な笑みを広げて頷いた。


「当たり前だろ」



end.



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