おねだり





「ね、ひじりさん…もう一回」


 やわらかく微笑みながらキスをねだる快斗に、常に無表情に覆われている相好を誰もが判るほどに困ったように崩したひじりは、熱を帯びる頬を撫で、やんわりと唇に触れてくる左手の親指に軽く噛みついた。





□ おねだり □





 自分の言動に素直に表情を変えたり顔を赤く染めたりする快斗が面白くて、それが見たいこともあって時折わざと快斗を振り回しまくっている自覚はあった。おそらくそのことを快斗は知らないだろう。
 しかし、いつもはそうやってひじりに振り回されている快斗だけども、たまに何かしらのスイッチが入り、常にない積極的な態度でひじりに迫ることがある。
 ─── そう、まさに今のように。


ひじりさん、何考えてるんですか?」

「…快斗のことしか考えてないけど」

「ふぅん?」


 黒羽邸快斗の部屋、ベッドの上。
 ひじりを押し倒し覆いかぶさっている快斗は目を細めて軽く首を傾ける。それが心底可愛いなと思うからかなり重症だとひじりは思う。


(……さて、今回のスイッチは何だったかな)


 今日は普通のおうちデートで、テレビを観たり快斗のマジックを観たりと、まったりと過ごしていたはずだ。
 何となく流れで軽くじゃれ始めて反撃した快斗がベッドに押し倒してマウントポジションを取って、そこから雰囲気的にキスなんかも交わして、それがスイッチになったのだろうか。


「ね、ひじりさん。キスして」


 じっと目を合わせたまま微笑んで快斗が再びねだる。
 ひじりは自分からする分には構わないと思っているが、これで一体何回目だとやや呆れる。確か8回目くらいで数えるのをやめた。なのに快斗は何度も何度も飽きもせずにひじりにキスをねだる。ひじりからするまで、決して自分からはしない徹底ぶりだ。


「…してもいいけど、いい加減目を閉じてくれないかな」

「ええー」

「さすがに恥ずかしい」


 普通よりも羞恥心というものに欠けている節のあるひじりですら、さすがに目を開けて行動を楽しそうにじっと見つめられるのは困る。一挙手一投足、無に近しい表情の揺れ、するたびに頬が少しずつ色づいていくのを逐一観察されているようで落ち着かない。
 それに、目の前にいるのは愛しい男だ。無表情が常であるとは言え、変化しないはずがない。心臓でさえ、先程からずっと早鐘を打ちっぱなしなのに。


「本当だ、すごくドキドキしてる」

「…っ…」


 何の前触れもなく服の上から胸へと快斗の右手が触れ、軽く息を呑むと同時にひと際大きく心臓が跳ねた。思わず快斗の指を噛んだままだった歯に力がこもり、その痛みに快斗が顔を歪めたため慌てて力を抜く。
 しかし、快斗は何がおかしいのかくすくすと笑みをもらして肩を震わせ、噛まれた指をぺろりと舐めた。


「かーわいい、ひじりさん」

「……ありがとう」

「どういたしまして。んー、オレを楽しそうに振り回すひじりさんも好きだけど」

「……」

「オレに振り回されてるひじりさんも、すっげー可愛くて大好き」


 とろんと熱と恋慕にとろけた目と顔で囁かれ、ひじりは快斗の言葉を理解すると、更に頬の熱が上がったことを自覚して両手で覆って隠した。途端、「あーっ」と不満に満ちた声が降ってきたけれど、聞かなかったふりをしてそのまま更に枕へと顔をうずめる。
 そういえば快斗は押し倒しても頭はきちんと枕に置いてくれたな、と今更気づいて惚れ直した。


「ずっ…るい、快斗、ずるい…!」

「えー、ずるいのはひじりさんでしょ。いつも散々ひとのこと振り回しておいてさ。それで楽しそうな顔をするのが可愛くて可愛くて仕方がなくて甘んじてたけど、たまにはオレだって振り回したい」

「やだもう、快斗の意地悪、ばか、好き」

ひじりさんからの愛ある貶し言葉にまさかときめく日がくるとは…」


 いけない、快斗があらぬ方向へ目覚めようとしている。
 しみじみと感慨深げに呟いた快斗を引き戻すべく、ひじりは頬の熱が移った両手で快斗の頬を掴んだ。半ば無理やり引き寄せ、その勢いのまま唇を重ねる。快斗はきょとんと目を瞬かせ、唇を離したひじりの顔が赤いのを認めると自身の頬も赤く染めて楽しそうに笑う。


「はは、ひじりさん顔真っ赤」

「…快斗が、こんなふうにしたくせに」


 愛したのも、恋したのも、想いを囁かれていとも簡単に動揺するのも、快斗だけだ。
 意地悪な人。確かに自覚を持って振り回していたが、その意趣返しに振り回し返すだなんて。それも、極上の甘さで包んで。


「心臓に悪い」

「お相子ですよ」

「快斗の気持ちがよく分かった」


 自覚なしならともかく、狙って振り回してくるのは心臓に悪すぎる。正直もちそうにない。
 普段の倍以上は早く脈打つ心臓を押さえてため息交じりに呟くと、快斗の指が優しく頬を撫でて楽しげに囁いた。


「でも、やめないでしょ?振り回すのも振り回されるのも、楽しいから」

「……意地悪」


 快斗の悪戯な言葉を否定できず、肯定を悪態に隠して小さく返すが、快斗はただただ楽しそうに笑うだけで。
 以心伝心とでも言おうか。快斗はひじりのことをよく分かっている。
 素直じゃないひじりさんも可愛い、と言われてかろうじて礼を返すと、快斗は微笑みを浮かべてひじりの手を取り甲に唇を落とした。


「可愛い可愛い、オレだけのお姫様」


 お姫様なんてガラじゃないのは分かっているけれど、それを言葉にして否定するには惜しく、代わりに快斗の頬を撫でる。すると快斗はひじりの手首を掴み、親指にがぷりと噛みついた。それは先程、ひじりが噛みついた快斗の指と同じ指。
 走った痛みに僅かに眉を寄せる。すると快斗は噛みついた指を舐め、ちゅっとリップ音を立てて軽く吸い、熱のこもった眼差しでひじりを見下ろす。
 瞬間背筋が震えたのは、確かな期待を孕んだ昂揚感だった。


「ね、ひじりさん」


 何度目か分からない、甘いおねだりをもう一度快斗は繰り返す。


「キスして」


 熱にけぶる青い目が細まり、その目が決して閉じないことと、キスだけでは済まないことを悟りつつも、ひじりに応えないという選択肢はない。
 可愛い人だ。けれど意地悪な人。そしてとても、愛しい人。応えない理由がどこにある。


「目、閉じた方がいい?」


 分かっていて敢えて意地悪気に問うてくる快斗に、ひじりは何も言わず、噛みつくようなキスをした。



end.



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