家族の日常





 南中を迎えた太陽がやわらかな光を降り注ぎ、窓から差し込んで顔にかかると、その眩しさにダブルベッドの上で寝息を立てていた青年は眉根をきつく寄せて寝返りを打ち、布団を頭までかぶって太陽の光から逃れた。
 そのことで緩く意識が浮上し、無意識に腕を動かして人のぬくもりを求めるがやわらかなシーツがあるだけで、更に不満げに眉を寄せたとき、ふと遠くから聞こえてくる軽い音に気づく。
 ぱたぱたぱたぱた。軽快で規則的な音が寝室の扉の前で止まり、次いでノックもなく開け放たれた。


「父さん、起きてー!!」





□ 家族の日常 □





 やっぱりオメーか。布団の中で目を閉じたまま呟いた言葉はしかし内心に留まり、快斗は起こしに来た息子へ寝返りを打って背を向け、拒否の姿勢を取った。
 しかし小さな少年はそんな父親の様子も慣れた様子で、再び軽い足音を響かせてベッドへと駆け寄る。


「もうお昼だよ、父さん!早く起きてー!」

隼人…父さんは明け方に帰って来たんだ、もう少しくらい寝かせろ…」

「それでも、もう6時間は経ってるはずだよね!」

「……誰が時間の数え方なんか教えやがった…」


 あ、俺だ。
 随分前に教えたことを思い出してため息をつく。
 両親に似て頭が良いこの子は、贔屓目抜きでもそこらの子供よりかはずっと賢い。


「ボクもう4歳だよ。これくらい普通さ!」

「ほぉー…?この間、俺が教えたマジックに失敗して泣きべそかいた隼人にしては言うじゃねーか」

「ボ、ボク4歳だから失敗したってとーぜんだよ。しかたないって言うんだよ、そういうのは!」


 誇らしげに胸を張っているだろう息子に布団にくるまったままぼそりと呟けば、途端声音に焦りを滲ませて、思わず快斗は頬を緩める。しかしそれでもベッドから起き上がろうとせずにいると、隼人がそろそろとベッドから離れる気配がした。
 何をしようとしているのかはすぐに察した。足音が小さくだが聞こえるし、今までにも何度かされたことがある。もっとも、初めてだったとしても、息子と言えど4歳の子供に不覚を取られるわけもないのだが。


「てやー!」


 気合いに満ちた声を上げ、ベッドに勢いよく飛び乗って来た小さな息子を、瞬時に身を起こした快斗は冷静に軽く布団で受け止めた。
 ぼすりと隼人が布団に埋まる。渾身のダイブを軽く受け止められ、頬を膨らませる隼人に快斗は目を細めて笑った。
 快斗譲りの癖毛をぐしゃぐしゃと掻き回すように撫でると、母親の色と交じって濃くなった群青の目が気持ち良さそうに細められる。
 幼いながらも可愛らしく整った顔立ちは快斗によく似ていて、けれどやわらかく笑えば母親に似ることを快斗は知っている。もっとも、子供らしくくるくるころころ表情を変える隼人がそんな顔をすることは滅多にないのだが。
 快斗は愛息子に笑みを深め、最後に軽く隼人の額を指弾した。


「10年早ぇよ、隼人


 途端、また隼人の眉が不服気に寄る。よく変わる表情に喉で笑い、快斗はベッドから降りてあくびをこぼした。


ひじりさん…あー、母さんは?」


 眠気の抜けきっていない問いに、埋まっていた布団から抜け出してベッドからも降りた隼人がすぐに「ご飯作ってるよ」と答え、そういえば良い匂いするな、と快斗は寝癖のついた後頭部を掻きながら部屋を出た。
 後をついて来て早歩きになる隼人に自然と歩調を合わせ、途中洗面所で軽く身支度を整えてダイニングに入ると、揃ってやって来た快斗と隼人に、てきぱきと昼食の用意をしていたひじりが気づいて頬を緩めた。


「おはよう、快斗」

「おはようひじりさん。ごめん、お昼まで寝てて」

「快斗は朝まで仕事だったからしょうがないよ。よく眠れた?」

ひじりさんが隣にいなかったし、正直あんまり」

「そっか、じゃあ今日は一緒に寝ようね」

「ん」


 整えきれてなかった寝癖をひじりの手が梳く。その手を取って軽く引き寄せ、数秒ほど緩く抱き合ってから2人は離れた。離れる際に、触れるだけのキスを交わして。


(……毎日思うことなんだけどさー、ボクって完全に忘れられてるよね?)


 物心ついた頃から当然のように目にしてきた両親2人の仲睦まじい様子を背中に感じながら、空気を読んでそっぽ向いている隼人は「起こしてきたのはボクなのになぁ」とため息をついた。
 いいんだけどさ、別に。起こしに行ったのはボクが勝手にしたことだし、父さんと母さん幸せそうだし。幸せそうならボクも嬉しいし。
 そんなことを息子が思っているとは露知らず、満足した快斗は緩みきった表情を引き締めることもなくテーブルのイスについた。ひじりに手伝いを申し出たのだが、「ゆっくりしてて、ね」と可愛らしく首を傾げて言われては頷くしかない。

 寝起きの快斗に考慮してか、昼食だと言うのに食事は軽いものだ。
 軽く盛られた白米に漬物や煮物、味噌汁。和風だ。本当はここで魚が出てくるのだろうが、快斗が好まないのであまり出ることはない。


「父さん。お昼ご飯食べたら、ボクにマジック教えてね!」

「いいぜ。その前に、まずこの間教えたやつのおさらいからな」

「次は絶対失敗しないもん」

「何言ってんだ、失敗したって別にいいんだぜ?けど、ただ失敗するだけじゃダメだけどな」

「……むずかしいよ」


 オメーなら分かるよ、と軽く笑って隼人の頭を撫でる快斗に、料理を並べていたひじりもまた小さく笑みを浮かべて頷く。両親を交互に見て首を傾げる隼人に、快斗はひじりと目を合わせて笑い合った。


「なぁ隼人、マジックは好きか?」

「好きだよ!マジックはみんなを楽しませて、喜ばせて、幸せにする魔法なんだ!」


 快斗の突然のぽつりとした問いかけに、訝ることもなく隼人は満面の笑みを浮かべて大きく頷き、きらきらと輝く目を自らの父親に向けた。
 煌めく群青が熱を帯び、同時にその奥に更なる深みを宿す。この子もまた、数多の才覚を宿す子供だ。けれど隼人は、どこまでも子供らしい笑みのまま、頬を紅潮させて大振りに手を振った。


「おじいちゃんのマジックも好きだけど、やっぱり父さんのが一番好き!母さんもそうでしょ?」

「もちろん」

「父さんのマジックを観ると、母さんは喜ぶ。ボクはそれがとっても嬉しいんだ!父さんも、母さんが喜んでくれたら嬉しいよね?」

「そりゃあな」


 息子にべた褒めされ、快斗が内心の照れくささを隠すように軽く頷いて箸を手に取る。早速煮物に箸を伸ばそうとすれば、隼人は満面の笑みでストレートな気持ちを紡いだため思わず手を止めた。


「だからボク、父さんのマジックが好きなんだ。父さんのマジックひとつで、みんなが嬉しくなって、笑えるから」


 やわらかく微笑む隼人の顔は、テーブルを挟んだ向かいの席で同じように小さく笑うひじりによく似ていた。
 じわりと胸の内にあたたかな喜びが広がり、快斗は箸を持った手とは逆の手で隼人の頭を撫でた。やや乱暴だったがしっかり気持ちは伝わったようで、隼人がえへへと嬉しそうに笑う。


「だからボクも、ボクのマジックでみんなを笑顔にしたい」

「へぇ…けど、あんな簡単なマジックで躓いてちゃまだまだだぜ?」


 隼人の大きくはない、けれど決意を秘めた言葉に、快斗がにやりと口の端を吊り上げる。しかし隼人は快斗を見上げて笑い、大丈夫だよと軽く言い返した。


「だって、失敗はしてもいいんだよね?そこからちゃんと学べれば、無駄にはならない」


 対抗するように不敵な笑みを小さく浮かべる隼人に、快斗は内心で感嘆の息をついた。
 ほら、やっぱり分かった。流石は俺とひじりさんの息子。口にはしなかった称賛を、ひじりと視線を交わすことで共有する。


(本当、将来が楽しみな奴だな)


 今まで何度したか分からない思いを今一度噛み締めて、快斗は眩しいものを見るようにやわらかく目を細めた。
 いつか、この俺を超えてくれよ。内心でそう小さな子供に願う。かつて自分が己の父親に抱いたように。
 幼い子供の将来を楽しみに思い、止まっていた箸を美味しそうな煮物へ伸ばした。



end.



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