赤鬼は笑う
ほんの数分、遅れていつものように鍛錬場に来たら、キッドと赤井が組み手をしていた。
「……これはどういう状況?」
「遅かったな」
「ひじりさん、ヘルプ!!!」
今はキッドだというのに、赤井から繰り出された蹴りをギリギリ避けた彼は、快斗の顔と情けない声で
ひじりに助けを求めた。
□ 赤鬼は笑う □
その日、赤井は行きたくてその現場に行ったわけではない。同僚であるジョディが、アメリカで話題になっていた怪盗と似たものが日本でも活動していて、今日が予告日であるし、どうせなら見に行こう!と赤井を無理やり引っ張って来たからである。
ちなみに、赤井の文句や反論や拒否は流された。息抜き!とも言っていたが、息抜きしたいのはお前の方だろうと内心で呟く。
「Ladies and Gentlemen!皆様、今宵もまた私のショーをとくとお楽しみください!」
そうして予告時間きっちりに衆人観衆の中に現れた白い怪盗。
ショーマンシップに満ち溢れた、警察に決して捕まらない、狙った獲物は逃さず、せっかく盗ったそれも目的のものではないとすぐに返し、キザな台詞と大胆なマジックを駆使して人々を魅了するために巷で有名な彼の正体を知っている者は多くない。
白いシルクハットにスーツ、マント。顔を隠すモノクル。その下にあるものがただ1人の女を愛する17歳の少年だと、誰が想像できよう。
涼やかな笑みを刷き、優雅な仕草で一礼をしたキッドは、煙幕と共にその姿を消す。それに、観客となった野次馬のキッドコールがひと際大きくなった。おそらく中では警察との追いかけっこも始まっているのだろう。
日本警察をあまり侮りたくはないが、毎回やられているのを知っているだけに今回もまた逮捕はできない可能性が高いなとぼんやり思う。
(まぁ、そんなことより。……これがギャップというやつか)
煙幕が完全に晴れて、ようやく細く息を吐き出す。
諸々の情報からキッドについては大体知っていたが、実は彼の“ショー”を観に来たのは初めてだ。
なまじっか普段の快斗を知っているため、キッドとしての彼を見ると何だろうこの、形容しがたい生ぬるい感情が湧く。
「シュウ、今の見た!?すごいマジックね!」
「ああ、そうだな」
目を輝かせるジョディに適当に相槌を打ちながら暫し待つと、獲物を掠め盗ったのだろう、警察の怒声と共に外へ飛び出た白いマントが闇夜に翻った。
どっと観客が沸く。キッドコールが激しくなり、ハンググライダーを駆使して適当な木の上に留まった怪盗は、一度大きく両腕を広げ、静かな礼をする。
「今宵はこれにて閉幕と致しましょう。それでは皆さ…」
笑みを描きながらの言葉は、途中で不自然に途切れた。その目が離れていても判るほどに大きく瞠られている。
その視線の先には、当然のように赤井。何でここに、と驚きをあらわにするキッドに、ばっちりと目を合わせたまま赤井がついと目を細めると、キッドの頬が引き攣った。
父親に言われたらしいポーカーフェイスはどこへ言ったんだ。これはまた鍛え直さなければと内心で呟くと、それを読み取ったかのように、キッドはシルクハットに指をかけて深くかぶり、何とか調子を戻して淀みなく言葉を紡ぐ。
「っ…それでは皆様、次回また、私のショーをお楽しみに」
言うが早いか、ポン!と軽い音と共に煙幕が立ち、その白い姿を隠してキッドは消えた。
警察が悔しそうな声を上げ、周囲をくまなく捜せと指示を飛ばす。それを流し聞きながら、赤井は軽く息をついた。
「ねぇシュウ、彼、今あなたのことを見て驚いてなかった?」
「…気のせいだろう」
傍にいたため目敏く気づいたジョディを軽く流し、もう用は終わったとばかりに踵を返して歩き出す。
人混みの中に知り合い1人見つけたくらいであの動揺。しかも、それが悟られるようではまだまだだ。
そういえば、赤井は快斗=キッドであることを知っているとは快斗本人に言ったが、今までキッドの姿で鍛錬などしたことがなかったな、と思い至り、次の鍛錬はそれでいこうと僅かに口の端を吊り上げる。
それに逃げおおせたキッドが背筋を凍らせていたことなど、知る由もなかった。
─── と、数日前に“仕事”をしたキッドの話を赤井から聞いた
ひじりは、成程と頷いた。
だから今日の快斗はキッドの格好をしているわけだ。話を終えた瞬間、赤井の拳にシルクハットを殴り飛ばされたキッドは、慌てて地面に落ちる前のシルクハットを拾ってかぶり直す。それと同時に今度は顔面へ爪先が向かい、何とか避けるもモノクルが弾き飛ばされた。
「で、今日のメニューは?」
「『1時間“キッド”の一部が地につかないこと』。ペナルティはマラソン20㎞。お前も加勢していいが、そのときはペナルティ2倍だ」
「鍛錬の後に?」
「当然だろう」
「鬼ですね」
地に落ちる前にトランプ銃で放ったトランプで弾いたモノクルを拾ってつけるキッドに憐れみの眼差しを注ぐ。
顔を青くして頬を引き攣らせたキッドはしかし避けるだけではなく、たまに反撃したりトランプ銃を使って牽制したりするがこの
鬼赤井、的確にカードの腹を弾いて叩き落とし、ものともしない。結果、キッドは殆ど逃げ回っているだけだ。
「どうする、加わるか?」
「武器アリですか」
「お前が使うなら、さすがに俺もひとつだけ使わせてもらう」
それは2対1でもクリアするのは難しくないか。
だが絶え間ない猛攻にキッドはもう息も切れ切れであるし、時間もまた30分近く残っていて、このままでは確実に負ける。ヘルプを出されたこともあるし、ペナルティを受けることになっても一緒だ。
ひじりはしっかりストレッチをして体をほぐし、鍛錬用に威力を弱めたゴム弾銃を手に取ると割って入った。
「ああ言っておくが、このメニューだけで終わると思うなよ」
「「鬼かあんた」」
思わず半眼で突っ込んだ2人へ、赤井はにやりと凶悪で不敵な笑みを浮かべると、どこからか取り出した折り畳み式の警棒を勢いよく振り落とした。
end.
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